懐かしいの坂下.探索.12.
−−−−−−−−−− 特集です−−−−−−−−−−
最近この地方で中津川市市民病院.坂下病院の事がいろいろと
言われていますので個人的な意見を・・・
国保坂下病院の始まりですが.
昭和10年に陸軍病院令に12年に保健所法が
公布されました.国民の体位向上.母子保健.公衆衛生.などにたいする
指導がおこなわれることになり
13年に厚生省が創設されました.国民健康保健法が公布され
15年11月に坂下町国民健康保健組合を設立しました.全国で9番目
この時の町長が加藤才次郎で握.下平の人です
明治14年生まれ.昭和25年死.町議.町長.と又蚕種業に大変つくされた
かたです.
昭和15からですので.戦時中で医療や医薬品などは戦地
優先で内地は後回しで田舎の方にはなかなかと回ってこなかった
のは確かです
医療費なども高くて.病院に見てもらえない子供が沢山いて
子供の時に亡くなってしまう.こんな現状をなんとかせねば・・と
国民.町民.全員が平等に誰でもが.治療が受けられる様にと
加藤才次郎町長が立ち上げました
当時の坂下町の戸数が約1000戸位です.
国民健康保健組合に協力していただいた方々は松井忠一(本町ちゃわん屋)
松田幸雄(新町).松井恭平(新田.松井歯医者).松沢定雄(役場の職員)
松沢さんはよく坂下新聞の見出しの写真を載せていました
松井の歯医者は小1.2位に2.3度行った記憶があります
また.松井恭平さんは坂下新聞に小説を載せていました
国民健康保健組合を理解して頂く為に全件.1件.1件.話に回ったそうです
初めの頃は入る人も少なく苦労したそうです


開業した当時の坂下病院です
初めは3割5分負担でしたが.2.3年して3割負担になり
昭和21頃から経済事情の悪化により5割負担になりました
22年吉村新六さんが(当時36才)町長になり町の発展は町民の健康
管理からと.名言しました.
23年に国保事業強化の為.町営で新発足しました

大正の初め頃.蚕種の検査所..現在の三菱電機中津川工場の所です.
明治.大正時代この地方は蚕業が盛んで品質向上を図る為に
蚕種の検査所を中津町に置きました
昭和18年に三菱の軍需工場がここに出来て.坂下に協力工場が現在の
中学校の所に3.4棟出来ました.この時に坂下の新町に三菱診療所ができて
戦後はここを直営診療所として使用していました
23年に診療所を現在の郵便局の所に(旧加藤医院)に移して坂下病院に昇格
..30年に現在の坂下支所の位置に移転
その後.平成13年に現在の位置に新築移転しました
14年には病院の便宜を図るため町内巡回バスも走らせました
** 昭和26年全国国民健康保険団体より国保成績優秀の理由で受賞
** 昭和28年厚生大臣より受賞しました
国保は原則的に市町村公営とする.また
市町村が公営しない場合のみ国保組合または非営利社会法人の
国保経営を認めるとしてあります
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中津川市民病院の開設は明治45年現在の福岡町下野の原 逸美さんが
えびす町に組合病院として発足しました
昭和30年代頃の中津川市民病院
..
大正時代の中津川の町並み図と写真
茶や坂..上鐘から中津高校を下り旧19号を横切り
上からの写真旧中仙道通り淀川町.新町.本町と続きます
昔から中山道美濃宿随一といわれており商人の町でした
その後昭和23年に日本赤十字中津川病院になりました
31年に正式に中津川市民病院として開設しました
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どちらの病院も人の命を守る為に大変苦労なされています
平成25年のアンケート調査でなにが一番必要かの問いに
緊急治療が一番でこれに答えるべき.現在この地区では
26年度からドクターカー24時間体制で
走っています.何人の命が助かったか
ありがたい事です.
また坂下病院の曽我勇吉先生は当時この地区で不治の病と
いわれた結核が流行していた.直す為の特効薬と言われた
アメリカの新薬でストレプトマイシンを入手するために
名古屋.岐阜.東京と薬問屋を探し回ったそうです
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先日行われた説明会に行ってきましたが
もう勝手に坂下病院を縮小して診療所にしてしまい
椛の瑚にある老人保健施設を病院内に移転する計画案..
もう線路が引かれてそれについての話をしているだけ
そんな感じがしました
そもそも赤字だとか市民病院は来年度は黒字になる
とか..言ってましたが 市民病院の累積赤字は69億あり
坂下病院は33億あります..坂下病院は平成13年で設備も新しいです
中津川市民病院はえびす町から平成元年.西山に移転して
今年で28年経っています.今後.医療設備にお金がかかります.
中津川市内には現在.坂下病院.中津川市民病院を含めて
33の私設病院(歯科医院を除く)があります.
その地区には2個.3個ありますので.市民病院には行かないよ
近くの病院に行きますよ.との声が多く聞きます
やさか地区(坂下.山口.川上)隣村..田立.南木曽.大桑
地区には病院が1個も無いのです.
南木曽.大桑から.1日3便のマイクロバスが坂下病院に
通っています.毎日10人〜15人位の人達が通っています
その地区の人達の命を守っていますよ
また市民病院は遠くてタクシーで行く人とか.自家用車に載せて頂いて
行く人が多いです.
自家用車で行ける人はいいのですが.タクシーだと市内からでも
往復2,000円位はかかります.いまさら.場所が..
と.言ってもしかたがないのですが.
総合的に見て.市民病院は30年近く経ってます.減価償却も取れて
いるはずなのに.69億もの赤字はどうしたものか..
また中津市内から坂下病院に年間15,000人ものの人が利用しています
なにもかも揃っている市民病院に行かずに坂下病院を利用されてる
現状を見逃してはいけません
確かに市民病院はあまり評判がよくありません・・・・
看護婦の対応が悪い.とか.よくミスがあるとか..
坂下病院になら行くけど市民病院には行かないよ..
との声が多く聞きます
どちらの病院も人の命を守る砦に間違いがないので
お互いに補うのが普通でしょ..金では買えませんよーー
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島根県邑智郡邑南町は4か町村合併で人口13,000人位の町
面積は400kと広いのですが.中津川は676k現在の人口78,920人
旧中津川市を抜いた恵北+山口の面積と一緒位ですので・・
人口は少ないですが
邑南町は大正からあった学校を一校も廃校にせず
病院も新たに公設病院を立ち上げ.地区にあった病院もそのまま
保育料.給食費.無料.24時間体制の病院とその結果
今日本人の女性が一生に産む子供が(出生率)1.46で
邑智郡邑南町はなんと2.65と凄い
一切の教育費には削っていないとの事です・これまた凄い
凄い設備とか.道路もないですが.安心して子供を産めます
ほとんどの家庭が共稼ぎで安心して学校に預けて働きに行ける
地区から学校とか.保育園とか.病院とかを統合.廃校にすると
人が住まなくなります
行政トップの人達の考え方が凄いですね・・
中津川市も少し見習ってはいかがですかね
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つづきは次回で お楽しみに