稲田亭(想像図)
萬歳座(回想図)
稲田亭.萬歳座は明治時代の建物と二度の大火により写真が見当たりません.
小学校時代の記憶では建物は細長い建物で左側は山口食料品店で
右側は橋詰石材店です
劇場 前の右の家は上松屋で劇場が見やすくする為
少し小さく書きました.道幅はもう少し狭かったです
左の店はたつみや電気で.隣は劇場のポスターを貼る所で.
小川又平さんがポスターを貼っていました..
たつみや電気は店の半分が敷島パンとお菓子を売っていました
サンヨー電機の商品を取り扱っていました..
上松屋の劇場に入る角はパチンコ屋だったり.すし屋だったりしていました
大きな裏庭があり.ぐろりと.木のへい.が囲んでいました
上松屋の本町側のおちよさん床屋の間は上町の放送室がありました
本日5日は上町の大売出しです.00店では通常100g50円の鶏肉を100g40円
00店ではさんま一匹30円です...などと上町の店から広告を募集して
放送していたそうです
ここで少し懐かしい写真が見つかりましたので載せます
昭和25年開業当時の坂下病院(現在の郵便局)
昭和25年1月に坂下初の鈴蘭等が伝馬町に点きました
小さな看板が見えています.庄川屋旅館ですね.旅館は道の反対側に
ありましたね.隣が西洞屋で隣が小島先生の家です
小学校1.2年に習った大好きな先生でした
10年位前に実家に手伝いに行ったときに出会って
話が出来てうれしかったですね・・
曽我勇吉先生.看護婦さん.竹の腰の西尾さん
同時に正式に坂下病院として開業しています..
もともと坂下病院は.昭和18年に中津町に三菱の工場が
軍需工場として設立されて.その協力工場が:現.中学校の所に
3.4棟あったそうです.
この中学校も上鐘にするか.時鐘にするかで.もめました
新町に三菱電機の診療所としてありましたのを
時の町長.吉村新六氏が町の発展はまずは町民の健康作りからの
判断から.現在の郵便局の地に坂下病院を設立しました
昭和33年当時の坂下病院(現在の坂下支所)
昭和30年に下島に移りました.(島平)
遅くまでこの位置で行っていました.思い出おおきい坂下病院です.
奥の長い建物は濃信社です..
坂下病院が移転した跡地をなににするかで町でいろいろと.
もめました.院長宅(本町の菊の屋)も最終てきに中電の出張所
になり病院跡も郵便局と奥に公民館が出来ました
戦時中の第一校舎
戦時中は国民学校としてありました..
明治3年に補習学校で.29年に第一校舎が出来て.
31年に尋常小学校.34年に尋常高等小学校
当時としては豪華な造りで屋上の鬼瓦.玄関前の噴水.など
坂下の教育の殿堂としてあげられました
新築した.小学校講堂と職員室
第一校舎の跡地に昭和32年12月に新築された講堂と職員室です
ちょうど一年生になったばかりで綺麗な講堂でした..
職員室の前はトイレで横に二回に上がる階段があり音楽室と
テレビが置いてありました
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つづきは次回で お楽しみに